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僕の「ばあちゃん」は赤の他人だった話。

ばあちゃんと僕

こんにちは、

スタジオ・カミックス管理人のカーミー@StudioKamixです。

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最近ときおり、自分の幼少期のコトを書いてます。

そうしてると数珠つなぎにさまざまなコトを思い出す。

そう云えば、僕はすごく特殊な環境で育ったのを忘れてた・・・。

正確に云うと、

特殊なんだけど、それが僕にとってはごくごく当たり前だったので忘れてた。

ばあちゃん子だった僕

実は僕はいわゆる「ばあちゃんっ子」だった。

んでも、ただのばあちゃんっ子ではなくて・・・、

ばあちゃんは赤の他人だった・・・・。

「はあ・・・?」ってなるよね(笑)

 

物心ついた時からばあちゃんと一緒に住んでいて

ばあちゃんに物凄く可愛がられて育った。

僕もばあちゃんのコトが大好きだった。

しかし、そのばあちゃんは赤の他人・・・、血の繋がりはない。

じゃあ、一体誰なの?ってコトなんだけど。

 

当時、僕の母親が働いていた旅館か?宿泊施設だったと思うんだけど

そこで、母親と知り合って仲良くなった宮さん(仮名)と云う同僚の人が

僕の「ばあちゃん」となる人だった。

 

職場で母親と親しくなって、家に来る様になって一緒に住む様になった???

・・・と云う今考えると何それ???みたいな話だ。

とにかく、母親はサバサバした性格で超社交的で

姉御肌、肝っ玉母ちゃん、江戸っ子?

人の世話をするのが好き、頼られるのが好きだった。

 

高知の言葉で男勝りの勝ち気で活発な女性のコトを「はちきん」

と呼ぶのだけれど、まさに「はちきん」気質だった。

ちなみに、「はちきん」という言葉は男性四人を圧倒するくらい!

ということから由来しているらしい。

男性一人につき◯玉が2個あるので

男性四人で金◯が8個、

つまり「8金=はちきん」

と云うなんとも大きな声では言えない由来だ(笑)

品のない話ですみません。

 

ちょっと脱線したけれど、

母親はその後、夜の仕事をする様になり、

不在が多くなった。

父親は土佐電気鉄道で電車の運転士をしていたので

仕事が不規則な上に家を空けるコトが多かった。

自然と僕や兄は、ばあちゃんと過ごすコトが多かった。

ばあちゃん

底抜けに優しいばあちゃん

ばあちゃんは底抜けに優しくてとにかく僕に甘かった。

甘やかされている僕が「甘やかしすぎだろ?」と思うくらい(笑)

いつも僕のご飯や弁当を母親の代わりに用意してくれて

「腹を空かせていないか?」気にしていた。

着替えのコトや、身の回りのコトなんかもこと細かに世話してくれて

僕はそんな底抜けに優しいばあちゃんが大好きだった。

 

実は僕はばあちゃんをずっと自分のばあちゃんと思い込んでいたのだけれど

ある日、何才くらいだったか?忘れたのだけれど・・・、

小学校低学年・・・だったろうか?

母親から・・・

「実はばあちゃんは、あんたのおばあちゃんではない・・・」

と云う様なコトを聞かされショックを受けた。

「え?・・・・・」と絶句してしまったのだけれど

その後・・・・、

「分かった」

と返事したのを覚えている。

その時僕は、小さい脳味噌でいろいろと考えたのだけれど、

ばあちゃんのコトはとても好きだし、

ばあちゃんも僕のコトを可愛がってくれているから

「血の繋がり」とかはどうでも良いはず!

と云う結論に至っていた。

我ながら適応力高いな(笑)と思う。

 

その頃から僕は「世間体」とかいったものが好きではなくて

「建前」とか「取り繕う」といった行為が嫌いになった。

いつも無意識に本質を求める様になった気がする。

今はさすがに、人に迷惑をかけない程度に世間体をつくろう様にはなったのだけれど

元々はそういうものには何の意味もない!

って云う様なちょっと乱暴な自分なりの哲学を身につけていた。

 

そこらへんの「ばあちゃんと孫」よりも

僕と宮ばあちゃんの方が血はつながってないけれど

よほど愛があるのだ!と信じて疑わなかった(笑)

 

宮ばあちゃんはとても良い人だった。

誰にでも優しくて近所の人とも仲が良かった。

時々、云うコトをきかない僕を叱る時に怒ることもあったけど、

全く迫力がなくて気の毒になる程、怖くなかった(笑)

根が優しくて、生粋の善人だった。

家族四人プラス赤の他人のばあちゃん

結局、僕の家は父と母と兄と僕とばあちゃんの五人家族で暮らした。

しかし、父と母は不在が多かった。

僕は圧倒的にばあちゃんと過ごすコトが多かった。

ご近所的には面倒くさいので祖母というコトにしていた様だ。

僕も面倒くさかったので人に聞かれると「ばあちゃん」だと云っていた。

 

ばあちゃんははじめの頃、その旅館とかに働きに出ていたのだけれど

いつしか、働きには出なくなり、家で家事だけをする様になった。

母や父とどういう話になっていたのか?は分からないけれど

年も年だったので働きに出るのをやめたのだろうか?

僕はばあちゃんが家に居てくれるコトが嬉しかったので

特に気にしていなかった。

 

いつも僕のコトを気にかけてくれていて

世話をやいてくれたばあちゃん。

だいぶ前に残念ながら亡くなってしまったのだけれど

最後まで僕の大事なばあちゃんだった。

 

ちなみに、僕には本当のばあちゃんも居た。

父方の祖母は早くに亡くなってしまったけれど

母方の祖母はそのころ健在だった。

僕は母方の祖母のことを「おばあちゃん」と呼び

宮ばあちゃんのことを「ばあちゃん」と呼び分けていた。

本当のおばあちゃんも僕を可愛がってくれて、

もちろん僕もおばあちゃんのコトが好きだったのだけれど

やはり、僕にとって宮ばあちゃんは特別な存在だった。

比較するものではなくて

「ばあちゃん」と「おばあちゃん」は僕の中で全く異なるものだった。

血の繋がりよりも大事なコトを教わった様な気がする。

 

こうして文章に書いてみると

なんとも説明しづらい・・・特殊な環境で育ったもんだ・・・、

と自分でも感心する。

とにかく母親がやや破天荒?な性格だったので特殊な環境になったのだろう。

僕の少し変わった性格はこの環境で培われたんだな・・・・

とあらためて思ったのと、

母親の破天荒さをあらためて認識するお話だ。

ばあちゃんのコトをたくさん思い出したので

会いたくなったな・・・墓参りでも行ってこようかな(笑)

 

今回もとても私的なお話でしたが、

最後まで読んでくださってありがとうございます。

こういった私的な話も

どきどきエッセイとして書いてます。

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