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【エッセイ】カーミーが幼少期に「養子」に出されそうになった話(笑)

こんにちは、

小さい時に養子に出されそうになった

哀れな少年時代をもつスタジオ・カミックス管理人のカーミー@StudioKamixです。

(➡︎プロフィールはこちら

 

今日は先日突然思い出した記憶、

小さい時に「養子に出されそうになった」記憶について

書こうと思います。

 

現代では「養子」っていう言葉が出現する頻度はかなり減ったのではないでしょうか?

しかし、昔は「養子」って今よりもずっとカジュアルで

よく耳にする話だったようです。

 

ちなみに僕の少年時代はもう既に

「養子」がカジュアルな時代は終わっていたと思います。

あ!今回僕がお話しするのは幼年時代、少年時代に養子縁組をするケースのお話しです。

僕は小学校3年生くらいだったかな?

ある日、家の2階で一人で遊んでいた僕は

突然母親からこう云われました。

「あんた、ミヨちゃん(仮名)とこの子供になるかえ?」

・・・・・

・・・

・・

「はあ?(心の声)」

・・・・

・・・

・・

一瞬何が起こったのか?分りませんでしたが

眉をハの字にして尋ねる母親の表情だけは覚えています。

質問の意味を理解するまでものすごく時間がかかりました。

 

初めてされる特殊な質問に対してとまどい

早く答えなくては!という焦りの中から

「え?・・・・・嫌・・・・」

と最小限の「NO」をリアクションとして返すと

僕は怖くてうつむいてしまった。

その後の母親のリアクションがどうったか?

と云うのはあまりよく覚えていない。

消したい記憶になってしまったのかな・・・?

んで、その時、ものすごいスピードで頭の中で色々と考えた。

その前に少し説明を付け加えると・・・・、

ミヨちゃんと云うのは母の双子の妹で

当時大阪で一人息子と暮らしていたのだけれど

息子(僕の従姉妹にあたる)が運悪く

高校生の時の体育の授業中に心臓発作を起こして突然死してしまったのだ。

ミヨちゃんは愛する一人息子を突然亡くして、ひどく悲しんだ。

当然僕たち親戚一同も驚きと悲しみに見舞われたことは云うまでもない。

そう、この話はそのあとの話なのだ。

 

一人息子を亡くして、ひどく悲しんだミヨちゃんを心配した母親や

おばあちゃん、母親の兄弟たちが色々と話をしていて

どうやら「僕をミヨちゃんの養子にしてあげたらどうか?」

という案が出たのだろう・・・。

僕には兄がいたので、もし僕が養子に出ても

跡継ぎはいるから?とかって話になったのだろう。

その結果、冒頭の母から僕への質問となったようだ。

そして、僕はこの事でものすごく考えた。

「それを聞くってコトは養子に出すつもりがあるってことだよな?」

「え?僕って要らない子じゃないの?」

「え?ミヨちゃんは好きだし、悲しんでるから心配なのは分かるけど

自分の子を養子に出せるようなもんなの?」

「ってか?断るとミヨちゃんに角が立たない?

ミヨちゃんのコトは好きだからミヨちゃんに嫌われるのは嫌だな・・・」

「え?お母さんは僕のこと、実はあんまり好きではない?」

「それを尋ねるってコトで場合によっては養子に出すコトもあるってコトが

本人に伝わって本人が悲しむかも・・・ってコトは考えてのコトなのか?」

「これは僕が怒るところ?・・・いや怒るのも変だ・・・・」

「これはよく聞く非行に走るポイントじゃないのか?」

「僕、グレてもいいんじゃない?」

「グレようかな・・・・」

などなど・・・・僕はとにかく色々考えた。

最終的に認めたくはないけれど、

「母親にとっての僕の価値は低い?・・・・

でも、そんなはずはない・・・!認めたくない!」

という曖昧な結論に至り、

結果自分の中で未消化で終わってしまった様に思う。

書いていて気づいたけれど、

僕は自分でも思うけれど自己肯定感が低い!

とっても低空飛行(笑)

褒められるのが苦手・・・。

でも褒められたい・・・・認められたい・・・・

って云う面倒臭いねじれた性格(笑)

この低空飛行の自己肯定感っていうのは、

この出来事に少なからず影響を受けているんだろうな・・・。

 

まあ、今客観的に思うと小学3年生には可哀想な仕打ちかもしれない。

その時は、「自分が哀れだ」とは認めたくなかったので

そのコトを誰にも云わなかったし、

「そんなはずはない!」と半信半疑ながら否定していた。

でもずっと心のどこかで

「母親は別にいつでも僕を養子に出すコトができるんだな・・・」

って云う密かな思いがありつつ大人になってしまった。

 

母親はとてもサバサバした女性だったので

おそらくあまり深くは考えていなかったのだろうと思う。

僕のことを「大事に考えて愛していてくれていた」のだろうと思うけど

その時は突然の悲しい出来事に僕の気持ちを考えることなく

試しに聞いてみたのではないだろうか?

僕も僕で母親が本当はどう思っているのか?

怖くて聞くコトができず、心の中でなかったコトにしていたのだろう。

今思うとなんとも哀れなカーミー少年(笑)

一人で傷ついて、

怖いのになんでもないフリをずっとしていた様だ。

平静を装うのも、この頃身に付けたのだろうか。

 

まあでも、こういうのって幼少期に大なり小なり誰もがある経験なのだろう。

「養子に行くか?」

なんて話はなかなかないかもしれないけれど(笑)

大人の何気ない言葉で傷ついて

知らない間に傷を隠して大人になる。

っていうパターンですよね。

 

話は変わるけど、

僕は自分の子供にたいして全力で愛情を伝えようとする。

「お前は愛されてるんだ!」

っていうのを知ってもらいたいと思っている。

今思うと、それは多分この出来事のような思いは

自分の子供に絶対させたくない!

って思ってるからなんでしょうね。

自分の子供はもちろんだけど

誰かが過去の自分の様に傷つくのも嫌なのだろう。

なので良い人を演じてしまうのかもしれない。

そして、こんな良い人の皮を被った

ゲス・スケベ野郎が誕生してしまった(笑)

 

今の自分は過去の自分の体験からできている。

幼少期の体験が今の自分を大きく形作っている。

そう思える幼少期の頃のお話しでした。

 

すごく私的なお話なのに最後まで読んで下さった方、

ありがとうございました。

時々、思い立っては

こんな「自己探求」記事もエッセイ的に書いてます。

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