僕の自我が目覚めたのは小学6年生くらいから中学1年生くらいの間だったと思う。
鏡を見たり・・・、
女の子の事がとても気になったり・・・、
自分の服装や髪型が気になったり・・・、
人目が気になったり・・・、
親や家族が疎ましく感じたり・・・、
性に目覚めたり・・・、
友達の家で初めてエロビデオを見て衝撃を受けたり・・・、
様々な事に目覚める時期だった・・・。
目 次
自我が目覚める思春期
今思えばあの頃が僕の自我が目覚めた頃なのだろう。
そして、高校生の頃には自由や不自由を感じて虚勢を張って格好をつけていた。
ブルーハーツやBOOWYなんかに憧れてバンドをやったり、
美味しくもないお酒を呑んで大人ぶって、はしゃいでいた。
だいたいの人格が定まったのもこの頃だった様思う。
振り返るともう何十年も前なのだけれど、
なんとも驚くのが僕の中身が大して変わっていない事・・・・。
十代の頃は二十代の人を見るとすごい大人に見えて自分もいつかあんな大人になるんだ・・・・と思っていた。
三十代、四十代はさらにさらに大人に見えたものだった。
大人という大人がみんなどこか立派に見えていた。自分とは見えているものが違うと思い込んでいた。
今思うとなんとも純粋というか・・・・アホというか・・・(笑)
大人へと変貌する時期が訪れる?
自分も二十代になるとパッと目の前が開ける様に変わってあの格好良い大人達の仲間入りをするんだ!と漠然と思っていたりした。
小学生の時に自我に目覚めた時の様な目覚めの瞬間がまたやってくるんだと勝手に思い込んでいた。
なんでだろうな・・・?わからないけれど。
しかし、当然だけれど二十歳になっても何も変わらなかった・・・・。
あれ・・・・?おかしいな・・・?
こんな二十歳で良いのだろうか・・・・?まあいっか・・・・楽しいし・・・・・。
って若い時間を無駄に過ごしているとあっという間に三十代・・・・・・・、
あれ?こんないい加減な三十代で良いのか?誰かにこっぴどく怒られやしないか・・・・?
正体不明の焦りや危機感を心の底に抱えたまま半信半疑で過ごす。
二十代と違うのは仕事に一生懸命取り組んだのと、何かこのままじゃいけない・・・・っていう焦りで色んな勉強をたくさんした・・・・って事だろうか・・・・。
たくさんと言っても自分史上なので大した量ではない。
歳をとっても中身はそれほど変わらない
そして40代になったけど・・・・相変わらずだ。この辺で僕は薄々感じていた仮説に確信を持った!
「人間の本質はそうそう変わらない・・・・・」
ありもしない大人の目覚め的なものはいつまで待ってもやってこない。
大人に見える人はみんな大人のフリをしているだけなんだ。(あくまで僕の主観です。笑)
本質は変わらない・・・・だけど、本質の周りを何重にも何層にも固める殻の様なものは沢山ついた。
その殻は色んな色を纏っていて僕の本質にコーティングの様に張り付いている。それが幾重にも重なって分厚く膨れ上がっている。
多分、真ん中にある本質が自我であって、
周りを固めているのが、立場だったり役割だったり自尊心だったり知識や教養だったり、
大人はこうじゃなきゃっていう思い込みだったり、
エロだったり、欲望だったり、成功だったり、失敗だったり、
人生の中で培ってきた様々な思いや観念が殻を形作っている。
そういう風に考えると腑に落ちる事ができるのだった。
大人としての目覚め
だから、最近はお酒で記憶をなくしたり、恥ずかしい言動をしたり、感情的になったりする残念な自分でもいいじゃないか・・・と開き直れる様になってきた。やはり人は開き直りが肝心ですね。(笑)
そして、たぶん、その開き直りが僕の目覚めなのかもしれない。
というわけで、誕生日を迎えてあらためて変わっていない自分を再認識!
これからも恥ずかしい自分を少しずつ晒け出して張りついた殻を剥いで、いつか裸の自分(比喩的な意味で)でどんな時もいられるようになりたいものだ・・・・・。